こんにちは。YOU太郎です。

私の面白かった体験、勉強になった体験を書いていきます。

YOU太郎の働き方改革~コンサルティング会社の登場~

こんにちは、YOU太郎です。

今回は私の会社に入っていたコンサルティング会社のお話です。

以前、私が北町営業所の所長を務めていた時に、私の会社は「日並研究所(仮名)」という大手のコンサルティング会社とコンサルティング契約を結びました。

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私の会社は田舎の小さな企業です。

その小さな組織の中で、狭い視野で仕事をしていても、今自分たちがどこにいて、どこへ向かっているのか?

市場全体を見て、自分たちのやっていることや方向性は正しいのか?

これらのことは第三者、それも業界の動向に詳しく広い視野をもったプロに客観的に見てもらい、助言をもらうことは重要なことです。

 

ただ、それこそ田舎の小さな会社が大手のコンサルティング会社から指南をうけるのです。

心なしか「見下されてる感」が否めないのは、コンサルティングを受けたことがある方ならちょっと分かるはず・・・。

 

それもこのコンサルティング会社は当然、競合他社のコンサルティングもしているのです。

「会社を導いてくれる先生」というより、「業界動向や敵を知るためのツール」として見たほうが正しいのではないかと個人的に思います。

 

私の会社で取り扱っている商品・サービスは自社のものではなく、いわゆる代理店契約で販売のインセンティブを稼ぐ事業です。

 

現代は多種多様な商品・サービスがありますが、そのどれもが競争の中にあり、あらゆる商品・サービスが同質化しています。

 

経営用語で「差別化」「競争力」という言葉が頻繁に使われます。

我々の業界でもよく言われる言葉ではありますが、そもそも同質化した同じようなものを皆こぞって提供・販売しているのに、使う言葉を間違っているように思えました。

 

「競争力」といってもサービスが同質化している以上「価格競争」になってしまうし、「差別化」とは言ってもメインの商品・サービスで戦うのではなく、「接客やサービスで差別化」という現場の人間の属人的なスキルに頼るというなんとも即席な小手先の手段に走るのは、これを読んでいただいている方も頷けるはずです。

 

もうわかりますよね?

ご時世と言ってしまえば仕方のないことですが、このコンサルティングというのは、競争力を失った商品・サービスをいかに小手先で売るかを指南するもので、企業努力による抜本的なビジネスモデルの見直しや立て直しを図るものではないのです。

※全てがそうだとは言いません。ただ、コンサルタントも商売です。競争力のない企業や業界に営業をかけて仕事を得ることは営利団体としては当然の行動です。

 

もちろん、人手不足問題に対応したオペレーションの構築や、適材適所・役割分担による生産性の向上の仕組み作りは大変勉強になりました。

 

私自身考え方に自分と似たものを感じたので、その価値を認めて意見を取り入れて、北町営業所の仕組化を進めていったのでした。

 

北町営業所は最初の導入はとても順調で、それなりに成果も出し、会社からもコンサルティング会社の支援担当者からも評価を得ていました。

 

ちょうど私が入院・手術する前までのことでした

 

次回に続きます。

YOU太郎の働き方改革~職場改革~

こんにちは。YOU太郎です。

 

美山営業所の所長としての毎日が始まりました。

着任するときに美山営業所の問題点を聞いていました。

 

〇朝礼をしていない

〇店の雰囲気が暗い

〇営業実績に対する意識がなくバラバラ

などなど

 

今までなにもしてこれなかった経営陣からあれこれ指図をされましたが、話半分に聞いて私なりに改革に着手しました。

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ただ、当たり前のことをやる。それだけでした。

 

◆YOU太郎の改革その一・・・朝礼を形式として行う。

小さな会社やブラック企業はよくやりがちですが、朝礼は所長の独演会ではありません。

独りよがりなフリートークを朝から聞きたい人はいません。

そんな朝礼は誰もまともに聞かないので破綻します。

 

私が行った朝礼は幼稚園や小学校のような朝礼をしました。

・朝の掃除は各所できているかのチェック

・開店準備が一つ一つできているかのチェック

・引継ぎや共有事項の発表

・今日の来客予約の時間・内容・担当の確認

・各スタッフの今日の持ち場の確認

・本日の営業目標の落とし込み

・その他注意事項の共有

・挨拶練習(「いらっしゃいませ」の声出し)

 

以上の項目を紙に起こして、所長じゃなくても決まった朝礼ができるようにしました。

もちろん朝の掃除は所長含め全員でおこない、私は毎日トイレ掃除を担当しました。

 

◆YOU太郎の改革その二・・・部下と一緒に営業目標を追う

管理職の場合、一般の社員と同じ仕事をしていては全体を見ることができなくなります。

だから他の所長は前線には立たず、後方から指示を飛ばし、部下は前線でそれに従う。

これが理想的な組織の在り方だとみんな言います。

 

でも自分が部下だったら好き好んで前線に立って、所長の命令に喜んで身をささげるでしょうか?

「うるせーなー。そんなに言うなら自分でやりゃいいじゃん・・・。」

私は上から指図されたらこう思います。

なので営業目標達成させるために所長業は下村氏に任せて一兵卒として営業実績の積み上げをしました。

 

もちろん所長の仕事を放っておくわけにはいきませんが、個々の特性や長所を見出して効果的に動かすには、皆と最も近い位置で一緒に仕事をする必要がありました。

 

また、「やらされている」のと「いっしょにやっている」では動きが変わってきます。

 

そして、美山営業所のスタッフの能力の高さを知ることができました。

みんなすごいよ。個々のレベルは三営業所中で一番高いじゃないか!

こちらが周りを尊敬できていればおのずと雰囲気が明るくなっていくものです。

 

◆YOU太郎の改革その三・・・当日目標とそれに対する実績の見える化

 

もともと下村所長が考案・作成したもので、当月と当日の営業目標と実績をわかりやすくするための実績表がありました。

とても分かりやすく、今月の進捗や今日やるべきことが明確になるので効率がよく、それを達成できたら「今日は頑張ったな」と視覚的に実感できる良いツールでした。

 

ただ、上記2点の行動がないと生きないツールだったのです。

そして、これが効力を発揮し、「自分たちは目標達成できるんだ」という実感や自信に代わり、成績が上昇を始めるのでした。

 

以上のような表現だとまるで下村所長が不出来だったように見えてしまうかもしれませんが、それには理由がありました。

 

私の会社は中途採用者が(私もですが)何人かいます。

会社で経験を積んだ社員が所長を任されるのですか、下村所長の場合二人の部下が彼女より年上で、言ってしまえば曲者でした。

 

下村所長も扱いに苦慮して手段を見失っていたのでしょう。

当の本人は所長を外れてほっとしていたようでした。

 

他にも細かい部分での取り組みも行いましたが、ざっとこんな感じでした。

「所長、営業所がどんどん良くなりますね!」部下の言葉がありがたかったです。

私自身、復帰していきなりここまでうまくいったのでビックリでしたが、ラッキーだったのでしょう。

でも、今もこの時も諸行無常」「色即是空」「盛者必衰」の理は忘れていません。

 

次回は企業の雲行きが怪しくなり始めると現れる「経営コンサルタント」の登場です。

YOU太郎の働き方改革~着任と小さな世界2~

こんにちは。YOU太郎です。

 

かくして、美山営業所の所長として着任することとなりました。

前述したように通院治療中ということで、投薬しながらの所長復帰です。

 

小さな会社では、いくら病気で入院しても、退院したら兵隊に逆戻りです。

逆に、そんな状態であっても私の手腕を買っていてくれているということなのか・・・。

優しんだか優しくないんだか・・・どちらにしても大事な役目を仰せつかったな・・・。

 

ここで、美山営業所と私が居た北町営業所について少し話します。

 

美山営業所は下村所長もその前の所長も女性所長でした。

そして、慢性的に営業成績が伸び悩んでおり、三つある営業所中いつも最下位の成績でした。

 

この美山店は「悪しき習慣」があるとのことで、私の入社当時有名でした。

先代の女性所長がいわゆる女王様で、けっこうな公私混同をしていたようです。

 

仕事が終わっているのに遅くまで部下をつきあわせたり、それも勝手に部下のタイムカードを切った上でということでした。

生産性やコストの観念が皆無で、生産を伴わない残業代や経費を垂れ流していたとのこと・・・。

 

 休みの日に旅行や遊びに付き合わされることも珍しくないとかで部下からも悲鳴が聞こえることがありました。

 

色々な会社がありますが、その会社の一部がブラックであることもあるようです。

後にこの所長は退職し、No.2であった下村所長に引き継がれたのでした。

 

代が変わり、暗黒時代が終わって新しい美山営業所が始まるかと思われました。

しかし、下村所長がまだ若く不慣れであることや、もともと商圏人口も少なく、小さな事業所だったので成績は悪いままでした。

 

私は下村所長よりも早く所長に就任して、北町営業所を動かしていました。

もともと幹部候補で採用されたのですが、入社して3年がたつ頃に当時の所長が急死したため、私がいきなり所長に昇格していたのでした。

 

前所長は要領がよくやり手で、3営業所中トップの業績を常にたたいていました。私はそんな営業所を守るために必死で働き、なんとかトップの成績を維持していました。

悪く言えば自分一人でがんばってしまっていたのですが、無駄な残業はさせないようにして、部下も極力早く帰していました。

 

わたしは所長の中では社歴が一番短いですが、営業成績は良いほうでした。

そのことがやはり誇りであり、自分が会社にとって重要な人間だと思っていました。

 

この小さな世界で、盲目に働き、全てを得たような気持になっていたのです。

病気をして入院生活を送るまでは・・・。

 

美山営業所のスタッフは応援などで一緒に仕事をしたことのあるメンバーもいたので、あたたかく迎えてくれました。

 

もう私は盲目ではありません。

ちゃんと冷静に自分を見ることができていました。

諸行無常」「盛者必衰」「色即是空この言葉がそのときの私にピッタリでした。

 

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「みんなよろしく。私はとにかくここの数字を上げることに専念します。いきなり所長が変わってやりにくいと思うから、慣れるまでは今までどうり下村さんを所長と思ってください。」

「てか、君らも早く所長になって俺と代わってくれよな?俺そもそも2か月だけって話で来てるんだから。」

 

そして嵐の前の穏やかな日々が始まるのでした・・・。

 

次回に続きます。

YOU太郎の働き方改革~辞令と小さな世界~

こんにちは、YOU太郎です。

 

いきなりまさかの美山営業所所長就任の辞令・・・。

本当に聞いていた話と違い、あっけにとられました。

 

横に座っている現所長はといえば・・・私に向かって

「自分は所長代理としてがんばるので仕事を教えてください。」

 

ま、マジか・・・。

 

この所長は女性所長で、下村(仮)といいます。

実は私は中途採用でこの会社に入りました。この下村所長は私が入社した時の教育係でした。

 

途中入社の私よりも歳は若い先輩ですが、本当によく教えてくれた先輩でした。

私が平社員としてであっても下村所長のために精一杯働いたのに・・・。

 

どうやら常務と下村所長で話し合ったようで、もともと営業に不向きな下村所長が私を所長として迎えたいと願い出たようでした。

 

当然計算が狂ったのは私のほうでした。

せっかく下山を決めたのに、また同じような山に登らされる羽目に・・・。

 

「聞いていたのと違うんですが・・・。」

「君はやっと復帰してきたと思ったら腰掛としてこの会社で働く気なのか?」

「下村所長は所長を君に任せたいと言っている、やるのか?やらないのか?」

 

こんなのずるいよ・・・2か月の話はどこに行ったんだよ・・・。

「分かりました・・・。やります!」

 

うへー、またあの激務に逆戻りか。

体の調子をもどしながら今後の準備をゆっくり進める予定だったのに・・・。

 

私がいるこの世界は本当に小さな世界です。

私たちの多くは、大きな世の中の大きな動きよりも、狭い空間の目の前の小さな出来事に日々向かって過ごしています。

 

当時世間では長時間労働や過労死、過労自殺が問題視され始め、ライフワークバランスという言葉をよく耳にしました。

 

私が勤めているこの会社も世間から見てライフワークバランスのとれた健全な会社なのかどうか・・・そんなことを深く考えずにただ盲目に過ごしているのです。

 

しかし、この会社は小企業でありながら、私が復帰するのを待ってくれていました。

普通小さな会社なら入院が決まった時点で解雇して、「また退院した時に空きがあったら雇ってあげるわ・・・」程度の扱いにされることも珍しくありません。

 

そればかりか消化していなかった有休休暇を入院期間にあてて、給与が休んだ日の分も出るようにして(この有給休暇の使い方が現在では微妙ですが)くれました。

 

さらに、賞与査定期間に休職したのに、賞与もちゃんと出るように取り計らってくれていました。

 

そこまでしてくれなくてもいいのに・・・。

 

私が会社に復帰したのはGW明けでした。

そこから約一月半くらいは所長でもないし平でもない中途半端な立場で仕事していました。

 

でもさすがに所長のころと比べると業務量も少なかったのでその分できた時間を使って「YOU太郎の入院体験記」を書いていたのでした。

 

そこに出てきたのが今回のこの辞令・・・。

新しい所長として新しいメンバーとともに、長らく低迷していたこの営業所の業績を立て直すことになりました。

 

ああ、これって本腰入れてやらないといけないやつだ・・・。

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何はともあれ、ここから新たな奮闘が始まるのでした。

次回に続きます。

 

YOU太郎の働き方改革~復帰と移動命令。そして~

こんにちは。YOU太郎です。

 

かくして職場に復帰しました。

退院後もしばらくは免疫抑制剤プレドニン)を処方されています。

プレドニンについては「YOU太郎の入院体験記」をお読みください。

 

読んで字のごとく体の免疫を抑える薬なので風邪や感染症にかかりやすくなります。

よってしばらくの間はマスクを着用しておく必要があります。

 

もちろんお医者さんから退院と職場復帰のOKを出されているのでそんな危険な状態ではないですが、マスクをしての仕事復帰で気がめいりました。

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私が入院中に二人の新人が入社しており、どうしていいやら戸惑っている様子。こちらから「初めましてYOU太郎と申します。よろしくお願いします。」と挨拶しました。

 

新人にとっては今の次長の福田(仮名)が所長であり、私は職場復帰してきた知らないオッサンです。

なので、職場復帰してきた知らないオッサンとして挨拶をしました。

 

常務取締役からも「君が留守の間に福田が営業所長として北町営業所を守ってきた、だから君が復帰してきたからといって『はい、ご苦労さん』とはいかない。」

※役職を一応「営業所長」と表現しておきます

 

それはそうです。今の現場は「福田を中心に所長である私が抜けた穴をみんなで埋めてきた」という難所を乗り切った絆のようなものができていました。

 

こうなると私は蚊帳の外です。所長面したところで誰もついてこないし、「この病人何言ってんの?」くらいしか思われないでしょう。

 

悲しいくらいに予想通りの展開です。

まあ、入院するときに「降格」は覚悟していたし、これで良いんだ・・・。

 

現場のスタッフにも「今の所長は福田くんです。新旧所長がいてめんどくさいけど、私のことは新人と思ってください。これまで通り福田くんに従ってください。」と伝えました。

 

これで私の立場はきれいになくなりました。

私が次長として福田を支えようと思っていました。

 

とはいえ、次長の辞令をもらったわけではなく宙ぶらりん。

なのに所長をしていたということで、権限もないのに所長の仕事をあてがわれる羽目に・・・。

 

 

福田も私に遠慮しているのか頼っているのか何なのか、職場の雰囲気がだんだん悪くなり、次第に営業成績にも影響し始めていました。

 

所長の権限は外されても営業会議には何故か所長として福田と一緒に出席することに。

意見や対策をもとめられますが、私と福田の方向性や現状把握がずれている・・・。

 

なんのためにこの場に私がいるのか・・・。

やりにくい。やっぱり戻ってくるべきじゃなかった。

 

休職は期間を定めて申請を出します。

休職といえば「お休み」みたいに聞こえますが、意味合いとしては「解雇の猶予」です。

「就業困難な状況で、本来なら退職するところを就業可能な状態になるまで猶予をもらう」ことが休職です。

よって、申請した期間内に職場に復帰しない場合はそのまま解雇されます

 

でも、通院中の病人にどんな仕事があるんだよ?

 

そんな時でした。

仕事中に常務から電話があり、「美山営業所に2か月だけ行ってくれないか?君の力で美山営業所の業績を助けてほしい。」

 

美山営業所・・・商圏人口の少ない小さな営業所で、人員不足が常態化しているところでした。

どちらかと言えば営業力のない営業所で体の良い左遷だと思いましたが、当時の私にとっては救いの移動でした。

 

「はい!行きます。」

もちろん、美山営業所には所長もナンバー2もいます。

もう平でもなんでも良い、もうこんな環境耐えられない。

それに美山営業所の所長は私の先輩だ。先輩の下なら働きやすい・・・。

 

「でも、2か月だけですか?それじゃ業績を助けようにも期間が短いのでは・・・。」

 

もうずっと美山営業所で一兵卒として気楽に働きたい、もちろん成績には貢献したいし、それだけに集中したい。

そうしながら今度こそ今後のことを落ち着いて考えるんだ。

そう思っていました。

 

でも何故か「2か月」の期限付きでの移動命令でした。あぶれた私をどこで使うのが一番良いか試したいのかな・・・。

まあ、今とは違う環境に身を置けるならそれで良いや。

 

こうして私は美山営業所への移動を快諾し、その週に開かれた営業会議に出席。

美山営業所の所長の隣に座りました。

そしてその場で辞令を正式に言い渡されました。

 

「YOU太郎くん、来月1日をもって美山営業所の所長に就いてくれ」

 

・・・・・・・・・・・・。

 

「へ⁉⁉⁉⁉⁉」

いや・・・聞いてたのと・・・違うんですけど・・・えええ???

 

次回に続きます。

 

 

 

 

YOU太郎の働き方改革~プロローグ~

プロローグ

こんにちはYOU太郎です。

 

タイトルが壮大でしょう?(^^♪

でも内容自体は一人の労働者目線のお話です。

 

だから核心をついた専門的な内容ではありませんが、いわゆる浮世離れした机上の正論(空論)ではなく、まさに皆さんの目の前で起こっているような混沌とした現実を描写できると思います。

 

インターネットニュースを見ていると働き方改革、労働問題などの記事が最近よく配信されていますが、記事を書いているのがプロの記者やアナリストのはずなのに、まるでどここかから引用してきたような表面的な内容が多いです。

 

それに対してコメント欄には「事実に則してない」「ウソの情報であり、間違った記事だ」などの意見が多く見られます。

 

このブログのテーマ自体は私の実生活で起こった出来事を客観的・主観的に表現していきます。

私は経済学者や社会学者でもないし、時事問題・社会問題に詳しいわけではありません。

どちらかというと不勉強で無知、そのことで知らないうちに損をしているかもしれない普通のサラリーマン(中流以下・・・というより底辺かも)の目線で発信していきます。

 

もちろん、不勉強はほめられたことではないですし、わたしも勘違いをしたまま記事を書き続けることも、勘違いをしたまま生き続けることも望んでいません。

なので、みなさんからのコメントやご指摘は大歓迎です。

 

また、文章にすることによって自分の環境や気持ちを整理し、多少なりとも正しい情報や新しい情報を取り入れて、皆さんと一緒にお勉強できればと思います。

 

「YOU太郎の入院体験記」のおさらい

ここでおさらいです。

 

私YOU太郎はとある小企業の管理職に付いており、仕事もプライベートも楽しんでいました。

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そんなある日、会社の健康診断で「igA腎症という指定難病」と診断され、入院と手術を受けることに・・・。

※詳しくは過去記事「YOU太郎の入院体験記」をお読みください。

 

私は求職届を出して40日程度の入院生活、私の席には次長が座って仕事をまわしており、部署の成績も以前より良くなっていました。

 

複雑な気持ちで入院生活を過ごしながら退院の日を迎え、職場に復帰・・・。

自分の椅子が無くなった職場に復帰したわたしは退職を視野に入れながらも、復帰を待ってくれていた職場への感謝もあるのですぐにどうこうはできませんでした。

 

そのうえ、退院したとはいえしばらくは通院による治療の継続が必要でした。

 病院もベッドを開けるため、通院治療にできるだけ早く切り替えてしまうのです。

 

「約1年程度は勤めて、ゆっくり治療しながらできる範囲で無理をせずに先のことを考えよう」

 

そうやって複雑な気持ちをかかえながら仕事を再開するのでしたが、私を待っていたのは意外な展開でした・・・。

 

次回から本編スタートです。

 

生きていたYOU太郎~お詫びとご挨拶~

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大変ご無沙汰でした!
 

お久しぶりです。YOU太郎です。

皆さん、覚えていますか??

まあ、忘れられても無理はありません・・・・。

 

突然更新をパッタリと止めてしまい、読んでいただいていた読者の方には大変申し訳ありませんでした。

 

今回は、長らく更新をせず長期間放置してしまったことのお詫びとその理由のご説明に加え、新しいテーマでの投稿のご挨拶をさせていただきます。

 

先ず、なぜいきなり投稿が止まったか(止めたか)

理由は2つです。

①二輪免許の記事を書いていたが、教習課程の詳細をど忘れしてしてしまい、記事がまったく進まなくなった。

 

②私生活にちょっとした変化があり、そちらがなかなか落ち着かなかった。

 

以上です。

投稿をサボり倒してしまい、もうしありませんでしたm(_ _)m

 

次に新シリーズについて・・・。

 

実は・・・YOU太郎の入院体験記の続編です!

 

とは言っても、また入院したわけではありません。

退院後、職場復帰した私がどうなったか・・・・?

 

いや、それだけではなく、そのことを通しての働き方や生き方、社会問題まで・・・なんだか壮大すぎるのでこの辺にしておきます。

 

前回のブログ「YOU太郎の入院体験記」はどちらかというと一人の中年会社員が病気や入院の経験を通して、仕事や会社、自分の人生をちょっとだけ個人的に考えてみることがテーマでした。

 

これからスタートする新テーマは、仕事への復帰をしてから私がどうなったか?復帰から今日までの出来事を追いながら、その生活や仕事において感じたことを発信していきます。

 

そうしていく中で、現在世の中に問われている働き方・生き方などの大きな、皆さんが感じるような、皆さんと同じ気持ちになれるような記事を私なりの目線で綴っていきます。

 

仕事内容にも多少は絡んでくるので、私の現在の環境や職場のこと、業界のことをちょっと露出する必要が出てくるかもしれませんが、できるだけバレないように、それでいてできるだけ事実に則して、尚且つ面白く書いていければと思います。

 

最近思い直して、やっと再開をしようとPCを開きました。

というか、以前のものよりハイスペックな新しいPCを買ってしましました。

 

新しいPCを買ったのは良いのですが、仕事用のPCは会社から貸与されています。

新しいPC・・・使い道がない・・・。

 

「うおーーーもったいない!なんでこんな高いの買っちまったんだー!

せっかく高い買い物をしたんだからせめて何かの役に立てよう!」

 

というのが実は再開のきっかけで、現在まだ私生活が完全に落ち着いたわけではありません。

よって、あまりテンポよく更新ができないときもあるかもしれませんが、

また多くの方に記事を楽しんでいただければ幸いです。

 

バイクのネタはどうするのかって?

それも時折織り交ぜていきます。

 

それでは、YOU太郎のブログを気が向いたら、読んでやってください。