YOU太郎の入院体験記〜病気と入院と心の変化その2〜
こんにちは、YOU太郎です。
私の入院生活におけるとてもリアルな心境についてお話しします。
前の回でもお話ししましたが、
病気や入院・治療がもたらす心の変化や精神への影響について、主観的・客観的に語ります。。。
自分の人生のため、入院して病気をしっかり治す!
仕事に大穴を開けてしまうのはイヤだけど、無理して働いて悪化したら意味がない。
誰も「その体でよく頑張った」なんて言ってくれません。
「なぜそんなになるまで放っておいたんだ?自分の体のことだろ?」って言われるのが関の山です。
会社からすれば私の代わりなどなんとでもなるが、私にとっては私こそが唯一だ。
入院の当初は半分ヤケッパチで、こんな風に思っておりました。
また、仕事から離れることで心と体が軽くて、せいせいした気持ちでした。
特に治療の前半は扁桃腺手術や入院などいろいろあったおかげで、ほとんど会社や仕事のことを考えませんでした。
こちらも休職している身なので、下手に仕事のことに関わらないようにしていました。
私の職場ではお互いのコミュニケーションの共有や保存のために、社内ネットワークアプリで連絡を取っています。
当然、入院中の私のスマホからもそのやりとりを見ることができます。
今、現場はリーダーが抜けてしまい、他のチームから応援をもらっている状態です。
当然どんな様子か気になります。
あまり見ない方が良いとは思いましたが、やはり見てしまいます。
そのネットワークアプリのやり取りを見る限りはとってもウマく行っているようです。
そう、私がいる時よりもウマく行っているのです。
連絡内容も活気があり、雰囲気の良さが伝わって来ます。
営業成績も良く、今までの不調が嘘のようです。
これは・・・。
いや、分かっていたことでした。。。
私は仕事から離れることで体を治し、
会社は私がいないことで活況を取り戻す。
複雑だが、結果お互いに良かったのか。。。
生活時間のほとんどを過ごして来た(捧げて来た)その場所は、必ずしも私を必要としていない。。。
もちろん、メンバーは私が不在の間頑張って職場を守ってくれていました。
でも、数字は正直です。。。
先にも言ったとおり、私の代わりはどうにでもなるし、私より優れた人はゴマンといます。
その時の私は「みんなを引っ張っていくリーダー」ではなく、病室で薬を投与されながら寝起きしている「ただの患者」です。
そして私は、例え何事も無く勤めていても、数年後には今の仕事を辞めて、歳をとり、やがて死に、この世からも消えます。
そう、必ずしも必要ではないのです。
私が私の世界だと思っているその場所は、私がいなくても全く関係なく回っていくのです。
これは当たり前のことだし、だからこそ「一生懸命やろう」「悔いが残らないように頑張ろう」と思えるのかもしれません。
私も初心はまさにそうでしたから。。。。
ただ、この当たり前のことをつい忘れてしまうと、心の痛みや悩みになってしまうのでしょう。
プレドニンの作用が強く出始める第2週目からはクヨクヨと考えておりました。
プレドニンのせいかは本当に微妙ですが。。。
病室のベッドの上や散歩しながら、頭の中にグルグルとそんな考えが回っていました。
逆に、こんな当たり前のことに今まで気がつかなかったのか、それとも気がつかないフリをしていたのか。。。
本当に自分を見つめ直すのに充分な環境でした。
今からすれば、自分にはこの時間が必要だったのかなと思えています。
でも、その必要な時間から学んだことに対してこれから何をして行くのかは未だに模索中です。
答えをみつけるまで模索していきたいです。
そう考えるきっかけをもらっただけでも、盲目のまま生き続けるよりはマシです。
今は自分の「本当にやりたいこと」やこれまでなにかと理由をつけて「諦めていたこと」を自分のためにやりたいと思うようになりました。
今までの頑張りや病気や入院を無駄にしたくない。。。
転んでもタダでは起きないぞ!
次回は入院生活のその2です。
退屈な入院生活の参考にしてください。